いざ、バルセロナへ

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朝になって、ピラールはまた昨日のビデオを修正している。光がどうしても気に入らないらしい。アケミが見ているものが、映像に明確に現れていない。光がそれを照らしていない、と。撮影は済んでしまったから、ここから先は彼女に任せるしかない。

 出来上がった作品はこちら。

vimeo.com

ピラールとの話は興味深く、尽きなかった。こんなに深い話をしてもらえるなんて、思っていなかった。空港に行く時間になったから仕方なく止めたけれど、あのまま夜まで話していられたかもしれなかった。

プライベートの話が多くて全部載せられないのが、残念。いくつか自分に示唆を与えたものをここに載せたい。

エレナは私の悩みに答えを言わなかった。ただ、答えを見つけるためにどこに行ったらいいのか、どの本を読んだらいいのか、何を見たらいいのか、そういうヒントを与えてくれた。

エレナの作品は外見の美しさだけでなく、いろんなもので満ち溢れている。彼女の視点、哲学、経験、人生観など。すべての色や線、それらが混ざったもの、その存在自体などが、私に何かを伝える。それは彼女がそういう人だから。彼女の作品は彼女の一部で出来上がっている。

私たちアーティストは自分の内面をもっと充実させないと。自分の中にあるダイアモンドの原石を自分で磨かなくちゃ。自分の内面から作品を作ることを忘れてはいけない。だけど最近の傾向か、形はよくても中身がないものが多くて本当に残念。作る人も見る人もそれしか見られない。中身がないことに気がつかない。

私たちは、昨日の午後4時間ぐらいでひとつの作品を作ってしまった。それは、私もアケミも自分の価値観をすでに持っているから。それで作品を満たして短時間で作ったものでも中身のあるものが出来たのよ。偶然じゃない。

この意見に同意する。自分の内面を見つめ、充実させることを忘れてはいけない。そして舞台ではそういうものがすべて出てきてしまう。

また、前に付き合っていた女性とのことを話してくれた。

一緒に生活していたの。別れたくはなかったんだけど、自分はそこから出なければいけないって感じていた。でも、彼女を傷つけずにそこから出る方法がわからなかった。

彼女の生活はとても規則正しかったけれど、私の生活はとても不規則。でも自分の創作活動のためには必要。このまま規則正しい生活を続けていたら、私からは何も生まれない。

この気持ちはすごくよくわかる。お互いが自分らしく居られる場所が、お互いがずっと一緒にいられる場所ではない。ダーリンと私とがそうだ。芝居という共通点があるけれど、彼は逗子に、私はスペインに舞台がある。自分たちは自分たちのやり方を自分たちで見つけなくては続けていかれない。

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最近は自分の老化が気にならなくなってきた。むしろ誇り。昔からお年寄りのしわや白髪が素敵だなって思っていた。でも自分のそれは我慢が出来なかった。なんでだろう、自分が怠けているような気がしていた。でも、怠けたから歳を取っているんじゃないのに。私は自分に無理難題を押し付けていた自分に気がついた。

自分の変な癖とか、顔のしわとか、狂気を含んだ表情とか、感情が入り乱れて顔のパーツがばらばらになる瞬間とか、昔は隠したかったようなことが、今回の作品でがんがん出ていて、それがとてもおもしろい、興味深いなって思えた。すべては私の一部だ。

そして、そんなものを評価してくれるピラールに感謝したい。彼女の捕らえる映像は、「出したもの」ではなく「出ちゃったもの」にあふれている。その「出ちゃったもの」を素敵だと評価するのは彼女ならではの視点だ。「出ちゃった」本人すら気がつかなかったものばかりだろう。

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空港までのタクシーの運転手とずっとしゃべっていた。時々、昔からの知り合いのような人に出会うことがある。

「役者って仕事はたくさんあるの?」「たくさんの基準は人それぞれ違うから。舞台がひとつ決まって、今の私にはこれで手一杯。稽古ってリハーサル中だけじゃないし。」

マドリードって本当にマドリード出身の人のほうが少ない。違う人種、地方出身者がマドリードを作っている。だからかな、外から今来たばかりの人を「マドリードへようこそ。今日から君もマドリード人さ。」と受け入れる雰囲気を感じた。

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バルセロナでいつも感じていた、外国人としての疎外感、あそこはカタラン語が出来ないと仲間に入れない。

カタラン語もやってみたけど、自分のスペイン語がめちゃくちゃになってしまった。カタラン語のことは気にしないことにした。最近は日本語でさえ言いたいことが表現しきれてない。そっちのほうが重篤だと思う。